日本秘境駅ランキング3位の飯田線「小和田駅」に行って見たくなりました。以前調べた時は、高蔵寺発高蔵寺で、飯田線の全てを乗りこなす事は難しいと思い込んでいました。
再度、調べてみると、
① 高蔵寺から金山に出て、豊橋から飯田線の乗車「小和田」で、下車して同じルートを戻る
② 高蔵寺から中央線で、岡谷まで行き、飯田線に乗車「小和田」で、下車し、2時間ほど待って、豊橋、金山経由で、一筆書きのルートを通り、周遊する
③ その逆のルート
が、可能である事が判明しました。②と③を比べると、初めに中央線で岡谷に出た方が、東海道線の方が列車本数が多く、何らかの遅れ等にも、柔軟に対応でき、安全と判断しました。
と言う事で、2024年8月12日に挑戦してみました。「小和田」までのルートは、高蔵寺 5:47-6:39 中津川 6:43-8:30 塩尻 9:00-9:10 岡谷 9:45-13:41 小和田でした。
ちなみに、塩尻での朝食は、立ち食いソバにしたかったのですが、未だ短縮営業が続いており、10時からの営業との事で、今回もキオスクで買ったサンドイッチでの朝食となりました。
同時に昼食用におにぎりと長野産赤ワインを購入しました。お茶は、冷たいものをどこか長く停車する駅で購入しようと思っていましたが、購入できませんでした。飯田又は、天竜峡の駅で、長く止まり、駅のホームにある自動販売機で購入できるだろうと思い込んだのが敗因でした。この様なローカル線の旅では、購入できる時に必要な物を購入しておくべきと、今更ながら勉強になりました。
小和田に到着しました。駅で降りた乗客は、私一人でしたが、駅にもう一方おられ、駅に備え付けてあった「思い出ノート」に何か書いておられました。ご挨拶して、駅の周りの散策に出かけました。
駅の看板とホーム側から駅舎をみたところです。雅子皇后の旧姓と同じ漢字の駅名(読み方は「おわだ」と「こわだ」で、ちょっと違いますが)と言う事で、あの頃は、この駅がブームとなった事を思い出させてくれます。
駅舎を出ると、散歩道となります。
直ぐに広場があり、天皇皇后ご成婚フィーバ時の記念の椅子がありました。この広場から少し下ると廃墟がありました。
そこからは、天竜川に沿って道がありましたので、進んで行きます。
道端に腰かけて、昼食を頂きました。更に進んで行きます。
「高瀬橋」は、通行不可との看板がありました。その先には、見捨てられたオートバイが転がっていました。山道は続いていましたので、更に進んでみました。
シートをかぶった耕運機があり、もう一軒の廃墟が出て来ました。もう少し進みます。
「この先、崩土のため通行できません。」「←迂回路はこちら」の看板が出て来ました。迂回路を進もうとちょっと下ってみましたが、結構険しそうだったので、ここで前進を断念して、引き返しました。
実は、この看板の手前で、ちょっと崩れているところもありました。
2番目の廃墟の周りをよく見ると、壊れた昔の洗濯機やらコンロなども転がっていました。
そこからの戻り路、先ほどは気付きませんでしたが、飯田線の線路が頭上にありました。
天竜川に流れ込む小川もありました。
一番目の廃墟の下まで戻ってくると、タイヤやミゼットの残骸が見つかりました。ここは今でこそ陸の孤島ですが、佐久間ダムで、この先の集落が水没するまでは、車が通れる道がつながっていた事が分かります。廃墟の裏側に回ってみました。
立派な住居と工場の様です。調べたところ、お茶の工場だったとの事です。
工場には、こんな機会が残骸となって残っていました。
その先は、天竜川の河原までは降りる事ができましたが、その先は、行けそうにないので、駅に戻る事にしました。
廃墟の台所っぽいところに食器等がありました。ご成婚ブームで、観光客が押しかけた時には、駅前にお店があったとの記録もある様ですので、ここで、観光客向けの食事や飲み物が販売されていたのかなぁと思いました。
駅に戻って来ました。
時刻表と運賃表です。
「思い出ノート」を書くスペースとその前に掲示してあった新聞記事です。
両方をトンネルに挟まれた駅です。ここからは、小和田 16:01-18:24 豊橋 18:31-19:23 金山と進み、金山で軽く夕食を取ってちょっと一杯飲んで、高蔵寺へと帰りました。
次回に続く…。
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