先回は、クスコに関する投稿でした。今回は、この旅でも最も早くから準備していたマチュピチュ訪問の記録を投稿します。
1)クスコからマチュピチュ
クスコからマチュピチュへ入るには、鉄道を利用するのが一般的で、インカレールとペルーレールが運行しています。私は、インカレールにてチケットを手配して、クスコからオリャンタイタンボまでバス、そこから鉄道と言うルートを選びました。
2025年6月13日(金)お昼過ぎにインカレールのクスコ事務所に集合し、バスでオリャンタイタンボに向かいました。途中景色のいい場所で休憩し、2時間ほどで、オリャンタイタンボに到着しました。




オリャンタイタンボのインカレール待合室と、駅周辺です。


16時ごろ列車が出発しました。




途中、「プリンセスと兵士の禁断の恋」をテーマにした寸劇が披露されました。


マチュピチュに到着する頃には日が暮れていました。


ホテルにチェックインし、近くで夕食を取りました。ツーリストメニューと言われるセットメニューが結構充実していましたので、ペルーではよくセットメニューをいただきました。




2)マチュピチュ サーキット2
翌、6月14日は、12時からのサーキット2チケットを取っていましたので、11時のバスに乗車するためにバス停に向かいました。チケットを購入し、列に並んで乗車の流れです。


実際にバスの列に並ぶと、ガイドさんが声を掛けて来ます。

公式のガイドさんは、青いベストを着用し、ガイド証を持っていました。この原住民みたいな人も、ガイドだと言って私に近づいて来ました。初めに私が、「僕は貧乏だからガイドは雇えない」と言ったところ、「貧乏な人がわざわざ日本からマチュピチュに来られるわけがない」と返してきたことをきっかけに話が弾みました。プライベートのガイド料は220ソル(約8,800円)との事で、ダメ元で、ガイドをお願いする事にしました。結果的には大正解でした。彼と一緒にバスに乗り、マチュピチュ遺跡に到着しました。


トイレは、入場前にしかないので、トイレに行って来いと言ってくれました。トイレから帰ると必要な位置に並んで場所取りをしていてくれました。彼の作戦は、高いところまで一気に登って、そこからゆっくりとガイドしながら降りてくるとの事でした。


この様な山奥に街ができたのは、水、太陽、石が重要な役割を果たしたとの事を説明してくれた上で、農業スペース、一般市民の生活場所、支配層の生活および行事のための場所等々を分かりやすく説明してくれました。


彼の名前はSiloと言って、マチュピチュ遺跡内で働いている人にも有名な人物でした。袋に入れている「コカの葉っぱ」をみんなに配っていました。解説がなければ通り過ぎてしまう様なところも丁寧に解説してくれました。




翌日は、サーキット3+ワイナピチュ山に登ると伝えると、サーキット3で、観るべきところを教えてくれてバスに乗って村に帰り別れました。
翌朝、ホテルで会った日本人ご夫妻もおっしゃっていましたが、ガイドツアーをした方が確実に理解ができて良かったとの事でした。私も同感です。そのご夫妻は、たまたま日本語ができるガイドさんがいたとの事でした。お値段は、お二人と言う事もあり、私が払った金額より少し高めだった様です。
村に帰った後は、このバーのカウンターで、ハッピーアワーを利用してペルー名物のピスコ・サワーをいただき、近くのレストランで、ツーリストメニューの夕食を食べました。




ガイドのSiloは、英語もできる様ですので、英語かスペイン語のガイドでOKと言う方は、雇って損はないと思います。
次回に続く…。



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