20年前の今日(9/11)の思い出

パキスタン

皆さんは、20年前(2001年)の今日(9月11日)に何をしていたか覚えていますか?
ご存知の通り、この日は世界中の人々に衝撃を与えた「米国同時多発テロ」が発生した日ですので、それに絡めて何らかの記憶がある方も多いのではないでしょうか?

私は、その時、家族帯同でパキスタンのカラチに駐在していました。
その日は、確か日本人、シンガポール人、タイ人の出張者をアテンドしていました。パキスタン時間で、夕方までは、その時の仕事場所であった自動車の生産工場で、新規モデルの生産、販売戦略等の打ち合わせを行い、出張者3名をカラチ市内のホテルに一旦送り届け、夕食の約束をして自宅に帰宅しました。

出張者とは、彼らのホテルから近い韓国料理レストランで会食の予定でした。余談ですが、そのレストランを選んだのは、2階の奥の個室で、内緒でお酒を出してくれていたからでした。
イスラム教国では、通常はレストランでの飲酒はできません。

私は、彼らとの約束時間(彼らをホテルでピックアップする時間)がありましたので、急いで着替えをして、テレビも見ないままホテルに向けて出発をしました。
ホテルで、彼らをピックアップして車に乗ってもらったところ、英語で、
「トレードセンターに飛行機が突っ込んだよね」「ペンタゴンにも突っ込んだみたいだね」と言う会話が始まりました。前述した通り、私はニュースを確認する余裕もありませんでしたので、何の話なのか瞬時には、理解できませんでした。
「それって、映画かなんかの話?」と言うのが私の彼らへの質問でした。
「いやいや、アメリカで現在発生している本当の話だよ」と言う衝撃的な答えが返ってきました。

レストランに到着し、料理を注文、もう一人出席予定の駐在員が来るのが遅れていましたので、内緒のビールで乾杯を済ませ、米国での出来事の話を続けていました。
いつもは、時間通りに来るもう一人の駐在員の到着が遅れていましたので、出てきた料理を先に頂いて会食を続けていました。

遅れ気味に到着した、同僚は、開口一番
「Pacoちゃん、あれはアルカイダの仕業だなぁ。ウサマ・ビンラディンだぞ。そうだとすると、隣のアフガニスタンに大いに関係してくるので、日本大使館から退避命令が出るんじゃないか?」
と言いました。
彼のこの話は、今となればピンと来ると思いますが、当時の日本人でこの話ができる人は少数派であったと思います。
カラチでは、在カラチ日本総国領事館と日本人会が合同で、毎月「治安状況確認会議」を開催していました。当時の安全担当領事より、アルカイダやウサマ・ビンラディンの事は、レクチャーを受けていました。記憶が正しければ、彼は、「米国が最も憎むウサマ・ビンラディン」と言う表現をされていました。従い、我々は、その辺の事情を知る数少ない日本人だったと思います。

その時は、同僚の話は理解できたのですが、3日後の9月14日にパキスタンから退避する事になるとは思ってもいませんでした。

当時、私の所属する会社は、上述の自動車現地工場に出資しており、9月13日が四半期の取締役会で、日本の自動車メーカーの担当役員がその会社の役員も兼務されてましたので、12日にカラチ入りされました。

そうこうしている内に、12日からは、主犯ウサマ・ビンラディン及びアルカイダ説が報道され、パキスタンを拠点に対アフガン作戦が始まるのでは等々の話が出てきました。
在カラチ日本総領事館は、在留邦人に対して退去の準備をする様勧告を始めていました。

9月12日にカラチ入りされた自動車メーカー役員さんは、13日の役員会出席の後、14日の便でタイのバンコクに移動される予定でした。
同時に、パキスタンの自動車メーカーは、そのディーラー大会をタイで行うと言う事で、14日のバンコク行きフライトの200席弱を予約していました。
確か、9月13日の午前中には、日本総領事館からは、
・民間機が飛ばなくなる可能性があるので、民間機がある内にパキスタンから退去せよ
とのトーンに変わっていました。

その時我々がその役員さんを含めパキスタンにいる日本人関係者で協議の結果、
・どうしても業務遂行上不可欠な1名を除き、家族も含め日本人駐在員は、14日のバンコク行きにて退避する、
・逆にパキスタン人にとってこの時期にタイへ出国した場合は、復路のフライトキャンとなるとパキスタンに帰国できなくなるリスクがあり、ディーラー大会は海外ではなく時期と場所を代えてパキスタン国内で行う、
事を決定しました。

と言う事で、パキスタンディーラー大会用の200席弱の予約をキャンセルし、その情報はあらかじめ日本人会を通じ在留日本人に連絡した記憶があります。
結果、キャンセルした席は、ほぼ日本人家族を含む駐在員の退去者で埋まり、退去フライトとなりました。

この様に、大多数の在カラチ日本人の国外退去が行わました。
ここまで記載し、改めて思うのは、その後のパキスタン、アフガニスタンの歩んだ道です。
8月にアメリカ軍のアフガニスタンからの撤退、タリバン政権の樹立と大きな変化点を迎えているあの地域の今後も気になります。

2004年にその時の駐在を終え、パキスタンから一旦離れ、欧州を中心とした業務に携わりましたが、縁あって2008年に日本から、2010年からはシンガポールからパキスタン業務を再び担当し2013年までパキスタンと関わりました。
今も、パキスタン人の友人もいます。

このことに絡むこともちょっと記憶を記録にとどめたいなと思えて来ました。
ちょっと考えながら、記憶を呼び戻して行く事にします。

次回に続く…。

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