以前の記事で、ベネズエラ通貨危機の際に、当時の通産省(現在の経産省)が行っていた「輸出手形保険」を付保し、その制度を利用した話をしました。
1993年バルセロナ事務所を閉鎖して、日本に帰国した際の新しい配属先は、アフリカの自動車関連の部署でした。
その部署には、大学時代のサークルの先輩がおられ、彼は、一度アンゴラに駐在し、間もなく2度目のアンゴラ駐在に出る事となっていました。彼が、アンゴラ駐在員初代、その次に引き継いだ担当の後任として再び赴任が決まっていた状況でした。
彼は、何度もアンゴラ駐在を繰り返すのは、良くないと考え、私を引き込んだのでした。
アンゴラは、スペイン語の親戚の様なポルトガル語の世界ですので、言葉は何とかなるだろうと考えていました。
但し、その頃は、内戦真っただ中の状況でした。
アンゴラと言う国は、石油、ダイヤモンド等の鉱物資源が豊富な国ですが、内戦によって疲弊していました。
会社は、将来の大市場をにらんで、自動車の代理店を英国商社との合弁で設立していました。
これを書いていて思い出しましたが、その合弁代理店への出資は、その会社の設備と商品として販売する自動車部品の「現物出資」を行い、当時の通産省に現物出資の申請を行いました。
それより以前に、アンゴラ政府向けに、アンゴラ中央銀行のL/C(信用状)をもらって千台程度の自動車を輸出していました。この契約から船積みまでは、私がバルセロナに駐在中に終わっていましたので、債権の回収から私は引き継ぎました。
当時のアンゴラは、たとえ政府であろうとも、信用不安があり、保険を掛ける事が難しい状況にありました。但し、無保険では、会社の輸出許可が下りませんので、色々と探した結果、英国の有名な保険会社が付保してくれる事になった様です。
この条件も会社に説明し、会社の許可を取って輸出は実行されました。
私が、債権回収業務を引き継いだ直後が、当初契約の支払期限でした。前任者にとっては予想通りの支払い遅延が発生しました。
やはり、この保険も、支払い遅延が契約期間に達すると「支払い事故発生通知」を提出し、一定期間を待った後に、保険金の受取となりました。
・事故発生通知
・保険金請求
・保険金受取
の一連の作業は、ベネズエラでの経験も役立って進めることができました。
民間保険でも、この手の保険は、回収義務を輸出者に求めてくる契約となっていました。
保険金の受け取りは、定かではありませんが、1995年頃だったと思います。
そこから、1999年にパキスタンのカラチに駐在するまでの数年間、保険会社への債権回収状況レポートを書き続けました。
そうこうしていると、保険会社からは、その債権を大幅に割り引いて売却しないかとのオファーが来ました。その条件は、大変厳しいもので、債権額の20%程度だったと記憶しています。
付保率は約90%で、10%は既に損金処理をしていましたが、債権を20%で売却する事になるとさらに70%にも上がる追加損が発生します。
日本の他の商社も、同じような債権が数社にありましたので、彼らとも情報交換しながら、情勢判断をしていました。
結局、自分の担当時代には、解決できず、次の担当にこの件は引き継ぎました。
この案件の結果は、粘り強く関係者との交渉を続ける事により、2003年くらいに全額を回収する事ができたとの事です。
この回収劇は、結構今でも語り草となっています。
ただ、これも人の運ですが、
・受注し、出荷すると言う楽しい時期
・債権回収業務の苦しい時期
・債権を回収した楽しい時期
と考えると、真ん中のみ担当する人の苦労にももう少し日の当たる評価がある世界だといいなと思います。
次回に続く…。
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