1997年か98年頃の話です。当時私は、アフリカの自動車関連プロジェクトを担当しており、東南部アフリカを中心に出張ベースでの業務も行っていました。
今回は、ウガンダに出張した時の話を思い出しながら書いてみようと思います。
我々が担当していた自動車メーカのウガンダ代理店は、ウガンダ資本の会社でした。当時、その会社は、首都のカンパラを中心に業務を行ってくれていましたが、もう少しウガンダでの販売力を伸ばしていきたいと考えていた我々には、少し物足りなく感じていました。
と言う事で、ケニア、マラウィ、ザンビア、ジンバブエに代理店展開をしていた英国商社と組んで、ウガンダにももう少し規模の大きい代理店を設立し、その時の代理店であった彼らには、カンパラ地区の一つのディーラーとなって頂けないかと言う交渉に行ったのがその出張の目的の一つあったと思います。
当時、英国商社のナイロビ支店には、社用小型飛行機がありました。確か6人乗りのプロペラ機で、ナイロビの小型機専用空港より飛び立ちました。
メンバーは、日本の自動車メーカー担当課長さん、私たちの会社のナイロビ事務所長、英国商社ケニア人担当と私及びパイロットの計5名でした。
ちょうど、操縦席は、写真の様に機長と副操縦士の席が一番前にあり、その後ろに2名の席が2列と言った構成だったと思います。
ナイロビの空港を飛び立ってしばらくすると、ビクトリア湖の上空に到達します。カンパラのエンテベ空港は、そのビクトリア湖の直ぐ畔に位置しますので、ビクトリア湖が見えてからはその湖上空をひたすらに飛行する事になります。プロペラ機ゆえ、比較的低空で飛行しますので、そのうちに湖以外陸地は見えなくなり、まるで海の上を飛行している感じになった事を鮮明に覚えています。さすがアフリカで一番大きな湖です。
次に正面に陸地が見えてきたと思ったら、湖のわきにある空港に着陸しました。そこがエンテベ空港でした。着陸して滑走路を走っていると、横に黒焦げになった旅客機が見えました。それが1976年は発生したエンテベ空港奇襲作戦にて燃えた旅客機の残骸でした。
当時の代理店との交渉と同時に、上述の英国商社のナイロビ支店が新代理店候補の候補地や販売計画を立てていましたので、その場所と設備等の計画も現地で打ち合わせた記憶があります。
こういう時に、市場調査と称して、街中での車の使われ方とかどんな車が走っているか、どの様な道路事情だろうか等々をチェックするのが常でした。
加えて、その時は、上述のごとく自動車メーカーの担当課長さんも同行して頂いていており、その方が、せっかくだからナイル川の源流はビクトリア湖から出ていると聞いたので、源流を見に行こうと言って頂きました。白ナイルと呼ばれる源流は、ビクトリア湖の畔、ジンジャーと言う街にあります。カンパラからジンジャーまで車で見学に行ったのもいい思い出です。
その後、スーダンのハルツームで、白ナイルと青ナイル(エチオピアが源流)と交わるポイントにも訪れました。この話は回を改めていつか書きたいと思います。
当時のウガンダは、一般の方々が簡単に自動車を購入できる市場とはなっていませんでした。一番のお得意様は、政府や国連関連の機関でした。その時にそれら機関の入札を現地で助けてくれていた人物がいました。彼が我々を夕食に誘ってくれましたが、大変ローカルな場所で、メニューは鳥の丸焼きと確かキュウリしかなかったと思います。その鶏は、所謂地鶏で、その辺を自由に走らせているとの事でしたが、大変美味しかったのを覚えています。その後、色々なところで美味しいと言われる鶏も食べて来ましたが、いまだにその時に食べた鶏に勝てる鶏に出会えていません。
なぜか、帰路は、そのプロペラ機ではなく、ケニア航空のジェット機でナイロビに戻った様に記憶しています。
次回に続く…。
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