1982年頃の思い出(通信事情)

携帯電話、SNS、ライン、Eメールが一般的になっている今日この頃ですが、私が社会人の第一歩を踏み出した1982年頃は、どんな状況だったのだろうかを思い出して記載してみたくなりました。

Pacoの歩み」にも書いた通り、社会人生活最初の8年間は、鉄鋼貿易の仕事をしていました。
最初の担当国は、米国とベネズエラでした。米国や日本には、ファクシミリが普及し始めたころで、米国との連絡には、ファクシミリと当時大変高価だった国際電話を使っていました。

ベネズエラには、未だファックスが無く、テレックスを使っていました。
もうほとんどの方がテレックスなんて分からなくなっているのでしょうが、電話線で、タイプライターをつないで、お互いに打ち合う事ができるシステムでした。
但し、国際電話となりますので、時間により課金されるシステムでした。
タイピングが下手な人間が長時間をかけてタイプする事になると、大変な料金となりますので、機械でテープに穴を開け、そのテープを機会にかけて流す事により、人がタイピングするよりも早くタイプできる機会を使いテレックスを流していました。
フリー素材でテレックスの写真を探したのですが、見つかりませんでした。

当時は、仕事も不効率でしたので、夜中まで仕事をして、終電近くにテレックスを打ち終えて帰宅しようとすると、時差の関係で、朝一の元気なベネズエラの駐在員や現地スタッフにテレックスコール(テレックスの呼び鈴で呼び出される事)で、質問が来たりして、タイプライターで返信している間に終電に乗れなかった事が何度もありました。本当に不効率な時代でした。

でも、一度、会社を出てしまうと、携帯電話もなかったので、よっぽどのことがない限りは、呼び出される事もなく平和な時代でもありました。
緊急案件で、良く行っていた飲み屋さんまで電話で追いかけられた事はありましたが・・・。
今だったら、ラインとかEメールでいつでも連絡可能ですが、そういう状況ではありませんでした。

どちらが人間として幸せなのか?考えさせられます。

次回に続く…。

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