温度差55度の出張

仕事の思い出

1990年1月に温度差55度と言う出張をしたのを思い出しました。
記憶に残っている点を書き留めておこうと思います。

確か、1990年1月仕事始めの1日か2日、日本の本社に出社しました。
その時担当していた仕事は、鉄鋼製品の輸出及び三国間取引でした。
韓国の自動車部品メーカーが、当時発生していた労働争議により、生産の低下状態にありました。
そのメーカーは、自動車メーカから受注を受けた部品の納入に四苦八苦しており、他の国から部品を調達できないだろうかとの相談を受けていました。

会社は、インドネシアにある同じような部品を生産するメーカーに鉄鋼の材料を納めていましたので、そこに相談をしていました。

韓国メーカーから、部品図面をインドネシアメーカーに渡し、委託加工してもらう方向で話が進んでいました。その原材料は、韓国メーカーが日本から私が所属する会社経由で、購入し、インドネシアに運んで欲しい。
インドネシアメーカーで、生産した最終部品をインドネシアから、会社が購入して、韓国に輸送して欲しいという内容でした。

出張目的の一つは、そのインドネシアでのプロジェクトをまとめるために、韓国の会社の社長さん及び技術者と共に、ジャカルタに乗り込み、インドネシアのメーカーとの最終調整を行う事でした。
ジャカルタ訪問中の気温はプラス35度でした。

加えて、その社長さんは、さらに供給が不足した際の追加生産地も検討したいとの事でしたので、中国東北部のメーカーを紹介しました。

今でこそ、韓国と中国は貿易を中心に大変つながりの深い国となっていますが、当時は国交がありませんでした。加えて、北朝鮮との関係もあり、基本的には、韓国人が中国を訪問することは禁止されていました。その社長さんは、特別の許可申請を国に対して行い、国の定めた教育を受けた後に中国へ行く許可を取得されました。

国交のない韓国人が中国のビザを取得するのはどこがいいか調べると、香港が答えでした。
その社長さんに付き合って、私と香港で合流してきた上司もビザ申請は香港で行う事にしました。
申請をしてから、ビザの発給までに3日間掛かったと記憶しています。
一月の香港の気温は約10度でした。
中2日、毎日違うゴルフ場でゴルフをしながらビザの発給を待ちました。
こんな悠長な出張をしていた懐かしい時代でした。
仕事と言う仕事は無く、ゴルフ三昧の香港で中国入国ビザを取得し、香港から北京に移動しました。

北京に到着すると、氷点下10度くらいになっていました。一週間まえの常夏のジャカルタとは、45度の差がありました。常夏のジャカルタに真冬の服装も持って出かけた荷物の多い出張だったのです。

北京では、今後の打ち合わせを北京の駐在員と行なったり、その合間に、前年の「天安門広場事件」で閉鎖になっていた天安門が再び開くという日が重なり、天安門や万里の長城を訪れたりしました。

北京より、類似工場がある中国東北区の瀋陽に移動しました。瀋陽のその夜の気温は、氷点下20度でした。
瀋陽で、類似工場の見学、取引の可能性等の意見交換を行いました。

その時の上司と韓国人の社長さんには、本当に色々な仕事のノウハウを教わりました。
加えて、ゴルフや韓国料理の食べ方、お酒の飲み方等々本当にたくさんの事を学びました。

次回に続く…。

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