バルセロナオリンピックの思い出

スペイン

あと一週間で、「2020東京オリンピック」の開会式を迎えます。
コロナウイルスがこんなに世界中で猛威を振るい、本来ならば昨年開催されるはずだった大会を一年間延期しても、無観客開催及び様々な制約を受けた中での開催となとらざるを得ず、大変残念ではありますが、ウイルスとの闘いは本当に大変ですね。

オリンピックと言えば、私は、1990年から1993年まで、スペインのバルセロナに駐在していました。
オリンピックのバルセロナ開催が決まった1980年代の後半から、日系企業のスペイン(特にバルセロナ)への進出が増えていた時期でもありました。

1990年前後は、日本では、バブルがはじけて、その後空白の20年と言われる経済停滞の時代が始まったり、ベルリンの壁崩壊で、米ソの冷戦時代も終わったりと、今考えると激動の時代でした。
と言う事で、新規に開設した事務所を結局は、93年に閉鎖して帰国と言う事にはなりましたが、バルセロナが国際的に有名となるきっかけとなったオリンピックの時代を現地で過ごすことのできた貴重な体験でした。

バルセロナのシンボルとして今では、誰でも知っている「サグラダ・ファミリア」は、今ほど有名ではなく、夕方にふらっと車で行って、目の前に路上駐車をして、簡単に入場券を買って見学できる状況でした。
話が横道にそれますが、サグラダ・ファミリアの建設費用は、寄付と入場料収入で賄われてきました。従い、入場料収入がそんなになかったオリンッピク前は、その完成までに200年は掛かると言われていました。
現状は、オリンピック後に入場料収入が飛躍的に伸び、急ピッチで工事が進んでいます。もう一つの理由として、コンピューターの発達で、ガウディが設計していた強度等の計算が早くなった事も挙げられているようです。

そうそう、オリンピックです。東京オリンピックでも、チケットの抽選に参加しましたが、全くチケットを取ることができませんでした。

バルセロナオリンッピクの時は、お客様が来られるのかどうかは分からなかったのですが、前年の春ごろにバルセロナの銀行が中心となって抽選販売を開始しました。
会社として、抽選に参加した結果、

開会式、柔道、グランドホッケー、閉会式等のチケットを入手する事ができました。
東京大会のチケット入手の難しさと比較すると、当時はチケットの入手がそんなに困難ではなっかった気がします。

思っていたほどのお客様は、なかったので、開会式は家内と、閉会式は、当時ブラッセルにいた上司とメインスタジアムで堪能させて頂きました。

当時は、未だインターネットが無かったのと、日本のテレビ放送も欧州では見られなかったので、日本選手の活躍を知るのが、ロンドン印刷で、夕方に来る日本の一日遅れの新聞でした。
直接見学できた柔道の試合はその場で、もちろん結果は分かりましたし、マラソン女子の有森選手の応援は、日本人の仲間と一緒にモンジュックの丘のふもとで行いました。

岩崎恭子さんが水泳で金メダルを取って、日本で大ニュースになっていたことは、次の日の日本の新聞で知りました。

こんな事を思い出していると、本当にこの約40年で通信のスピードとその量が飛躍的に伸びた事を実感します。

でも、ウイルスには中々の苦戦を強いられる人類の苦悩も同時に実感しますね。
とりとめのない思い出話となってしまいました。ここまで、読んで頂けたならうれしい限りです。

次回に続く…。

コメント

タイトルとURLをコピーしました