米国「反ダンピング関税」に関する思い出

商社

1982年会社に入社後初めての配属は、鉄鋼貿易部と言うセクションでした。
当時、その部は、ベネズエラとの取引を開始した直後で、スペイン語人材が欲しかったとの事でした。
ベネズエラを担当するのせよ、商品知識等も何もない状態だったので、米国とベネズエラの「ステンレス鋼管」を担当させてもらいました。
OJTの先輩から、商品知識等を教えてもらい、見積もり作業で、一日中電卓をたたいていた事を思い出します。
鋼管は、日本のメーカーから重量(キロ又はトン)で購入し、長さ単位で販売していましたので、結構複雑な計算式で算出する事が求められていました。
今だったら、エクセルで式を入力し、コピーするだけで簡単計算できますが、当時はエクセルどころかPCもありませんでした。

毎日、計算に明け暮れていましたが、ある日、日本のステンレス鋼管は、米国より「ダンピング」と認定されたとのニュースが飛び込んで来ました。
新入社員の私には、何のことかさっぱり分かりませんでした。
OJTの先輩も初めての事で、あまり分かってない様でした。
我々の会社は、細かな受注の寄せ集めではありましたが、結構な量を取り扱っていましたので、米国大使館商務部からの質問状も、間もなく受け取る事になりました。

基本的には、ダンピングの裁定は、そのメーカー毎に行われるのですが、輸出業者に対する質問状も出されていた事が、後になって理解できました。
メーカーと協力しながら、米国大使館商務部経由本国の商務省とのやり取りを行いましたが、最終的に、メーカー毎の「反ダンピング関税」が決定されました。

基本的には、米国のダンピング裁定と言うのは、
・日本国内販売価格に比べて輸出価格が低く米国の企業に打撃を与えている
・従い、本来販売されるべき価格との差額を関税をアップする事で、調整する
と言うものの様でした。
物は、安ければ売れると思っていた私は、この理論に大変驚きましたが、米国からすれば、国内産業の保護と言う観点で出してきている理論だと言う事は、その後に理解できました。

一時的に、「反ダンピング関税」を払いながら取引を続けたり、そこまでのコストアップが不可能な商品の輸出を諦めたりの対応をしていました。
同時に日本と米国の二国間交渉により、日本が自主的に輸出数量を規制する事となり、その代行を日本鉄鋼輸出協会が行う事にて、その後数年間輸出の自主規制が行われました。

この時は、大変苦労し、色々と悩みもしましたが、今考えてみると、大変貴重な経験をさせてもらいました。

時は流れて、2019年、私は、グループ企業の関連会社である自動車、鉄道、飛行機等のシートファブリックを製造するメーカーに出向となりました。
そのメーカーは、米国サウスキャロライナに工場を持っており、原材料である糸を中国から輸入し、米国の自動車メーカーにファブリックを供給していました。
私が出向して、一か月後に米国は、中国の糸に対して約30%の「反ダンピング関税」の決定をして来ました。

ファブリックは、原材料費率が高く、30%の関税アップを吸収することもお客様に転嫁する事も大変難しい状況に陥りました。
米国のダンピング裁定は、メインのメーカーに対して直接調査を行った上で、その他メーカーに対しては調査したメーカーの中で一番高い税率に合わせるのが常です。
その時、米国工場が調達していた中国メーカーは、その他に当たるメーカーでした。
その他扱いのメーカーには異議申し立てを行い、関税を調整またはゼロにしてもらう権利があります。
私からは、中国のメーカーに対して、その異議申し立てをおこなってもらうべきと主張しましたが、弁護士費用等負担できないとの事で拒否されました。

そうこうしている内に、中国を出て太平洋上にあった材料が米国の港に着く時期になって来ました。
色々と専門家にも相談しつつコスト計算を行ったところ、その材料は、米国に輸入することなく、米国から日本に再輸送し、日本で製品にした方がコストダウンを図れると言う結論を導き出しました。

輸入をストップして、再輸出などと言うアイデアは、メーカーの方々の誰も思いつかなかったものでしたので、大変驚かれましたが、船会社や通関業者とも交渉し、何とか米国で通関することなく、日本に再輸出を行い、損をミニマイズする事に成功しました。

この様に、古い知識でもいつか役立つこともあると言う例です。

次回に続く…。

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