アフリカ担当時代の思い出

仕事の思い出

やっと新型コロナウイルス非常事態宣言が明けたのと、11月より先輩が東京勤務となると言う事で、昔のアフリカ担当仲間3人で、こじんまりと送別会を行いました。
現在我々が勤めている商社は、結構アフリカ業務で有名となって来ていますが、西アフリカに強い「フランス商社の買収」で、有名となっている側面があります。
しかし、我々がメインにアフリカを担当していた1990年代は、そのフランス商社を買うなんて事は夢みたいな話で、イギリス商社と協業しながら、時には、意見の違いをぶつけながら、プレゼンスを高めるべくがむしゃらに仕事をしていた事を思い出しました。

3人のおっさんは、大学時代からの2年先輩(K先輩)で1993年に私が、バルセロナから帰国する時に、アフリカに引っ張ってくれた方。
主役の東京への転勤者は、私の1年先輩(S先輩)で、1981年の入社から2005年くらいまで、とっぷりとアフリカにつかっていたアフリカのプロです。

我々は、某自動車会社の車両をアフリカで拡販するために色々と仕掛けていました。当時は、自動車の海外生産(特に米国及び欧州)を伸ばす時期で、アフリカ市場に対しそのカーメーカーが細かな事まで対応できないとの事情もあり、グループ企業である我々の会社に一部業務移管を行うと言う事で、S先輩と私は、そのカーメーカーに一時出向し、業務の移管を受けた事もありました。
Sさんは、営業戦略中心の業務移管を行い、私は、受発注システムをつなぐことや市場毎に違っていた取引価格を統一する事等の総務的な部分をメインに担当していました。

その頃の東南アフリカは、イギリス商社が構築した代理店網にわが社が自動車を供給するのがメインの業務でした。
1993年にバルセロナから帰ったのと同時にこのチームの一員となったわけですが、K先輩が、その年に2度目のアンゴラ駐在となった事が大きく影響していました。Kさんは、このまま、仲間を増やさずに赴任するとこの後、何度アンゴラ駐在に行かねばならないだろうと危機感を募らせていました。
そこに、バルセロナ事務所を閉鎖して帰国してくる後輩がいたので、引っ張られた状況でした。
アンゴラと言う、当時まだ内戦中でもあった国を日本から担当できる事は大変に興味深い仕事でした。
また、当時自動車の代理店が無かった国に新規で代理店を設立する案件でもありました。

代理店は、その英国商社との折半出資で設立されました。親会社をロンドンに設立し、アンゴラはその子会社として設立しました。当時のアンゴラは、外貨不足及び現地通貨た不安定だった事もあり、代理店が自動車のアフターサービスをする際に必要となる補給部品で、現物出資を行いました。
部品を出資金の代わりとするわけですから、代金を受け取らずに輸出する事になります。その事を当時の通産省に届け出て、輸出許可をもらい、現物出資の証明書をもらった上で、現地でもその旨を記載しながら会社の登記を行いました。
合弁相手先からも、部品であったか車両であったかの輸出代金を頂き、現物を出荷した後に、彼らも現物出資の手続きを行った様に記憶しています。

人がいないと会社は回って行きません。元々、アンゴラ運輸省に勤めていた人物が、このプロジェクトの政府許可等を進めてくれていました。引き続き、彼に社長をお願いする事となり、K先輩と二人三脚で、会社の体裁を整えるべく現地での活動が活発化しました。私は、その進捗を日本で管理しつつ、必要なサポートを行う業務をしました。会社設立から、実際の運営開始までと言うのは、楽しい仕事でした。ちなみにこの会社は、その後発展し、今でもアンゴラのお客様に必要なお車をお届けし、貢献しています。

私は、1999年4月にパキスタンのカラチに駐在となり、アフリカチームからは外れることになりましたが、私のパキスタン駐在中に東南アフリカの事情は一変し、上述の英国商社の財務内容が悪化した事もあり、彼らの事業を買い取る事ができ、東南アフリカでの我々のプレゼンスが大いに高くなる事になります。その時のチームにいられなく残念な気持ちもありますが、S先輩からは、Pacoの行った業務をその布石として大いに役立ってたよと聞いて、その送別会も各段なものとなりました。

今後も、ちょっとアフリカシリーズを書いてみることにします。

次回に続く…。

コメント

タイトルとURLをコピーしました