ベネズエラ通貨危機からの学び

商社

以前の記事で、私が「鉄鋼貿易部」に配属された理由を記載しました。
1983年1月に勃発した突然の通貨切り下げと変動相場への移行により、取引を大幅に縮小し、債権の回収を行わざるを得ない事態となりました。

当時の中南米向け輸出は、信用状(L/C)なしのD/A(Draft against Agreement)と言う条件で行われるのが通例でした。
他社との競合上、我々もこの条件で取引をしていました。
D/Aと言うのは、銀行が発行する信用状によらない取引で、通貨切り下げや、送金の規制が発生した場合の資金回収のリスクの高い取引と言えます。
このリスクに対する民間の保険は、ごく限られていますので、日本政府による「輸出手形保険」を付保して行っていました。

当時は人材不足で、未回収債権が一時的に回収困難となりましたが、上司から他の担当分を合わせて全て一元管理を行っていくが、担当はお前だとの突然の指名を受けてしまいました。
右も左も分からず、債権リストを作成し、管理を始めました。

ある程度時期が過ぎると、輸出手形保険の保険金受取り手続きに入る必要がありました。
確か、
・3か月経過時点で、「事故発生通知」を提出
・その後、既定の期間を経て「保険金請求の手続き」ができる様になります。
・審査が認められると、既定の料率(支払予定額の90%とか…)で保険金が支払われます。

ただ、他の保険と貿易保険の違いは、保険金を受け取っても債権の回収義務は残るところにあります。
また、債権の回収義務を適切に履行しているかどうかの報告も3か月に一度求められます。

従い、1983年、84年頃の私のメインの仕事は、
・米国ステンレス鋼管のダンピング処理
・ベネズエラでの保険金求償と債権回収
でした。

ベネズエラに出張して、あるお客様に債権の督促に行ったところ、外貨送金の停止は、政府の決定事項であり、現地通貨建てであれば、直ぐにでも払う・・・。
契約通貨はUSドルゆえ、USドルで支払ってもらわねば意味がない・・・。

と言う様な、行ったり来たりの議論となり、相手側もしびれを切らしてきました。曰く、
「今日は、結婚記念日だから、奥さんを連れて食事に行くので、帰ってくれ」との事でした。
若い、私は、当時治安が悪化しつつあった状況を示し、
「そんな事で、浮かれて街に繰り出すと、ガンポイントの強盗に合うのが関の山だそ!」
とその瞬間、おもむろに机の引き出しを開いて、ピストルを持ち出した社長、
「大丈夫、この様におれも武器を持っているから、やられる前にやる」と言って銃口をこちらに向けて来ました。
さすがに、ここまでされると、話を終わらせて、帰るしかありませんでした。

そうこうしている内に、ベネズエラ政府は、通貨切り下げ前の対外債務に対しては、現状レートではなく、旧レートと現状レートの中間の特恵レートで支払いを行うとの政令が出ました。
各お客さんには、その特恵レートの申請をして頂き、債権の回収を目指しました。

最終的には、5年かけて何とか全ての債権を回収する事に成功しましたが、当時は、今よりもドルの金利も高く、回収遅れのコストもかさみました。
今では、マネーロンダリングと言う事であり得ない対策だとは思いますが、お客様の米国や他の国に持っているドル口座から仮支払いをしてもらった例もありました。
その時のお客様への条件は、
・仮払いして頂いたドルは、当方でキープの上、正式送金後補填してくれた第三国口座に返金する
・特恵レートでの正式支払いを急いで欲しい
でした。当時は、マネーロンダリングと言う概念や言葉もなっかた様に記憶しています。
この一連のやり取りは、お金の流れから、国税庁の調査の対象となり、担当者として、国税調査官の質問を結構受けましたが、論点は、税務上の問題で、マネーロンダリングではありませんでした。

この経験も後々、アンゴラ担当にて発生する支払い遅延で生きる事になります。

次回に続く…。

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