仕事の思い出

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商社パーソン必携能力

以前書かせて頂いたこの記事でも記載した通り、伝統的な商社と現在の商社の業態は、変化しており、単なる商品の取引から、徐々に「事業体の経営」による利益の確保と言う方向に変遷して来ています。以前の様に商取引中心であった時代の特に営業職は、「商習慣...
アフリカ

「ウガンダ出張」の思い出

1997年か98年頃の話です。当時私は、アフリカの自動車関連プロジェクトを担当しており、東南部アフリカを中心に出張ベースでの業務も行っていました。今回は、ウガンダに出張した時の話を思い出しながら書いてみようと思います。我々が担当していた自動...
仕事の思い出

「南アフリカ製車」の周辺国への輸出

1995年1月17日未明に発生した「阪神淡路大震災」の時は、東京に勤務していました。東京は、ほとんど揺れなかったので、朝起きてニュースにて大惨事を知る事となりました。確か、次の日18日に日本を出発し、南アフリカのヨハネスブルグに2か月ほどの...
仕事の思い出

アフリカ担当時代の思い出

やっと新型コロナウイルス非常事態宣言が明けたのと、11月より先輩が東京勤務となると言う事で、昔のアフリカ担当仲間3人で、こじんまりと送別会を行いました。現在我々が勤めている商社は、結構アフリカ業務で有名となって来ていますが、西アフリカに強い...
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「商社業態」の変遷

この間、株式関連のあるYouTubeを拝見していたら、商社株に関しての動画がありました。その中で、商社の事を歴史的に言われてきた「ラーメンからミサイル」までの販売を取り次ぐのがメインの業態と言う様な紹介をされていました。確かに、私が商社に入...
商社

アンゴラ向け輸出で付保した「民間輸出手形保険」

以前の記事で、ベネズエラ通貨危機の際に、当時の通産省(現在の経産省)が行っていた「輸出手形保険」を付保し、その制度を利用した話をしました。1993年バルセロナ事務所を閉鎖して、日本に帰国した際の新しい配属先は、アフリカの自動車関連の部署でし...
商社

ベネズエラ通貨危機からの学び

以前の記事で、私が「鉄鋼貿易部」に配属された理由を記載しました。1983年1月に勃発した突然の通貨切り下げと変動相場への移行により、取引を大幅に縮小し、債権の回収を行わざるを得ない事態となりました。当時の中南米向け輸出は、信用状(L/C)な...
商社

米国「反ダンピング関税」に関する思い出

1982年会社に入社後初めての配属は、鉄鋼貿易部と言うセクションでした。当時、その部は、ベネズエラとの取引を開始した直後で、スペイン語人材が欲しかったとの事でした。ベネズエラを担当するのせよ、商品知識等も何もない状態だったので、米国とベネズ...
パキスタン

2002年6月 再びパキスタンより「緊急一時退避」

このところ3回に渡り、2001年9月の「9.11米国同時多発テロ」によるパキスタンからの「緊急一時退避」に関する記事を書いてきました。一時とは言え、私、本人は、12月まで、家族は、年明けの1月までの、結構長期の一時帰国となりました。もうこれ...
パキスタン

2001年9月カラチ日本人学校閉鎖から再開まで

前の記事で、9.11米国同時多発テロ発生から、9月14日にカラチから緊急一時退避をする事になった経緯を書きましたが、我々の長男が在籍していた「カラチ日本人学校」も先生方が緊急退避をされ、日本に一時帰国となってしまいましたので、休校となりまし...